高山伝右衛門繁文は、川越城主 秋元喬朝(たかとも)の家臣で国家老もつとめ、殖産興業で功績を残しました。
また、俳名「麋塒(びじ)」として、松尾芭蕉の門人でもありました。
主な句集
墓碑には「融心院幼世経爾居士」と書かれています。
また、俳名「麋塒(びじ)」として、松尾芭蕉の門人でもありました。
主な句集
- 武蔵曲(むさしぶり) / 天和2年(1682) x5句
- 虚栗(みなしぐり) / 天和2年(1682) x5句
- 続虚栗 / 貞享4年(1678) x1句
- 真跡の短冊 x4まい
墓碑には「融心院幼世経爾居士」と書かれています。
参考:現地案内板(川越市教育委員会)
名称 | 高山繁文墓 |
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指定 | 県指定 旧跡 |
員数 | 1基 |
所在地 | 埼玉県川越市石原町1-4-9 本応寺 |
所有者 | 本応寺 |
指定日 | 昭36.9.1 |

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なし