松平周防守家は、慶応2年(1867年/江戸時代)から廃藩置県があった明治4年(1871年)の間に、康英(やすてる)、康載(やすとし)の2氏が川越藩主を務めました。要するに、康載が最後の川越藩主となります。領高は8万4百石。
墓石には「松井家累代之墓」とある様に、松平周防守家の本姓は松井。そしてこのお墓には松井家累代の遺骨170余柱が合葬されています。
墓石には「松井家累代之墓」とある様に、松平周防守家の本姓は松井。そしてこのお墓には松井家累代の遺骨170余柱が合葬されています。
参考:川越の文化財(川越市教育委員会)
*案内板などはありません。
| 名称 | 松平周防守家廟所 |
|---|---|
| 指定 | 市指定 史跡 |
| 員数 | - |
| 所在地 | 埼玉県川越市小仙波町5-4-7 光西寺 |
| 所有者 | 光西寺 |
| 指定日 | 昭33.3.6 |

















