松平大和守家は徳川家康の次男結城秀康の五男直基を藩祖とする御家門、越前家の家柄である。
川越城主としての在城は慶応2年(1866)まで、七代百年にわたり、十七万石を領したが、このうち川越で亡くなった五人の殿様の廟所である。北側に四基あるのは右から朝矩[とものり](霊鷺院)直恒[なおつね](俊徳院)、直温[なおのぶ](馨徳院)、斉典[たりつね](興国院)の順で、南側に一基あるのが直侯[なおよし](建中院)となっている。
いずれも巨大な五輪塔で、それぞれの頌徳碑(しょうとくひ)が建ち、定紋入りの石扉をもった石門と石垣がめぐらされている。
川越城主としての在城は慶応2年(1866)まで、七代百年にわたり、十七万石を領したが、このうち川越で亡くなった五人の殿様の廟所である。北側に四基あるのは右から朝矩[とものり](霊鷺院)直恒[なおつね](俊徳院)、直温[なおのぶ](馨徳院)、斉典[たりつね](興国院)の順で、南側に一基あるのが直侯[なおよし](建中院)となっている。
いずれも巨大な五輪塔で、それぞれの頌徳碑(しょうとくひ)が建ち、定紋入りの石扉をもった石門と石垣がめぐらされている。
現地解説板より
名称 | 松平大和守家廟所 |
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指定 | 市指定 史跡 |
員数 | - |
所在地 | 埼玉県川越市小仙波町1-20-1 |
所有者 | 喜多院 |
指定日 | 昭33.3.6 |
-
なし