トップページ > 文化財 > 史跡 > 水戸藩十九烈士埋葬地
川越市喜多町にある広済寺に水戸藩十九烈士埋葬地があります。府浪士19柱の位牌が当寺に残されていますが、通常拝見することは出来ません。
以下、川越の文化財(川越市教育委員会)より
明治維新に先きだつ元治元年(1864)水戸藩内「天狗党」は尊王攘夷を強行しようとして、筑波山にけっ起したが、幕府はこれにたいして激しい攻撃の軍を進めた。 天狗党の一部は茨城県那珂湊の部田野原の戦いに敗れて降伏し、隊員のうち江橋五右衛門以下230人は罪人として川越藩に預けられた。 江橋五右衛門は翌慶応元年(1865)4月2日死罪打首の刑に処せられ、菊池忠右衛門等18人の武士は抑留中それぞれ病に倒れてその遺骸はいずれも広済寺に埋葬された。 川越藩主松平大和守は慰霊のため永代供養料金15両と水府浪士19柱の位牌を当寺に奉納した。
名称 | 水戸藩十九烈士埋葬地 |
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指定 | 市指定 史跡 |
員数 | - |
所在地 | 埼玉県川越市喜多町5-1 |
所有者 | 広済寺 |
指定日 | 昭43.12.25 |