川越の北東に位置し入間川左岸の微高地に舟塚古墳があります。
6世紀後半に築かれたとされ、元々全長50メートル程あった前方後円墳です。現在は、墳丘の東側の一部が残るのみで、こんもりと木が茂る小山になっています。
明治(1887年)に学校建設の為に墳丘の大部分が削られ、その際に箱式石棺と遺物が出土しましたが、住民によって再び埋められました。
昭和45年に残りの墳丘が削ずられた際に、明治に埋めた遺物、直刀片、鉄環、鉄製杏葉(馬具)などが再度出土しました。
古墳の東側には、明治に建設された植木小学校の石柱と石碑が残っています。
6世紀後半に築かれたとされ、元々全長50メートル程あった前方後円墳です。現在は、墳丘の東側の一部が残るのみで、こんもりと木が茂る小山になっています。
明治(1887年)に学校建設の為に墳丘の大部分が削られ、その際に箱式石棺と遺物が出土しましたが、住民によって再び埋められました。
昭和45年に残りの墳丘が削ずられた際に、明治に埋めた遺物、直刀片、鉄環、鉄製杏葉(馬具)などが再度出土しました。
古墳の東側には、明治に建設された植木小学校の石柱と石碑が残っています。
参考:現地案内板(川越市教育委員会)、探訪武蔵の古墳
名称 | 舟塚古墳 |
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指定 | 市指定 史跡 |
員数 | - |
所在地 | 埼玉県川越市上老袋 |
所有者 | 個人所有 |
指定日 | 昭45.1.12 |
-
なし