志誠(しじょう)の墓は、川越市北田島にある円満寺の墓地にあります。
志誠は、享保19年(1734/江戸時代)に北田島の内田家に生まれ、本名は内田善右ヱ門。後に出家をし志誠と名乗りました。
この江戸時代中期は五百羅漢の信仰が盛んで、志誠は父母の冥福の為に天明2年(1782)に五百羅漢造りに着手。40体程羅漢を造ったところで病に冒され、寛政12年(1800)に66歳でこの世を去っています。
【志誠が製造した数】
羅漢: 40体程
釈迦如来: 1仏
文珠: 1仏
普賢: 1仏
26尊者: 幾体
その後、志誠の遺業を喜多院の三学僧が継ぎ、文政8年(1825)に全535体が完成されました。
志誠は、享保19年(1734/江戸時代)に北田島の内田家に生まれ、本名は内田善右ヱ門。後に出家をし志誠と名乗りました。
この江戸時代中期は五百羅漢の信仰が盛んで、志誠は父母の冥福の為に天明2年(1782)に五百羅漢造りに着手。40体程羅漢を造ったところで病に冒され、寛政12年(1800)に66歳でこの世を去っています。
【志誠が製造した数】
羅漢: 40体程
釈迦如来: 1仏
文珠: 1仏
普賢: 1仏
26尊者: 幾体
その後、志誠の遺業を喜多院の三学僧が継ぎ、文政8年(1825)に全535体が完成されました。
参考:川越の文化財(川越市教育委員会)、川越歴史小話
名称 | 志誠の墓 |
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指定 | 市指定 史跡 |
員数 | - |
所在地 | 埼玉県川越市北田島329 円満寺 |
所有者 | 個人所有 |
指定日 | 平10.7.14 |
-
なし