トップページ > 文化財 > 史跡 > 永島家住宅(旧武家屋敷)
永島家住宅は、川越藩御典医の屋敷跡で、川越城南大手門に近い位置にあります。
この屋敷の小屋組は叉首(さす)構造で、棟の高さは三段となっており、痕跡などから、現在の住形態になるまで大きく2回の増改築があったことが推測されます。
現在の玄関から床の間付きの座敷に至る諸室と東側に張り出す内向きの諸室に別れ、公私空間を区分した武家住宅の特質を残しす以降と考えれています。
現在埼玉県下三城城下町(川越、忍、岩槻)では武家屋敷の遺構はほとんど残っていません。また、関東圏内でも残存事例はわずかで、学術的にも貴重な遺構と言えます。
この屋敷の小屋組は叉首(さす)構造で、棟の高さは三段となっており、痕跡などから、現在の住形態になるまで大きく2回の増改築があったことが推測されます。
現在の玄関から床の間付きの座敷に至る諸室と東側に張り出す内向きの諸室に別れ、公私空間を区分した武家住宅の特質を残しす以降と考えれています。
現在埼玉県下三城城下町(川越、忍、岩槻)では武家屋敷の遺構はほとんど残っていません。また、関東圏内でも残存事例はわずかで、学術的にも貴重な遺構と言えます。
参考:現地解説板(一部抜粋)
名称 | 永島家住宅(旧武家屋敷) |
---|---|
指定 | 市指定 史跡 |
員数 | - |
所在地 | 埼玉県川越市三久保町5-3 |
所有者 | 個人所有 |
指定日 | 平18.3.27 |