武蔵七党の一つ、村上党出身の仙波氏館跡。現在、天台宗長徳寺となっています。
境内にはもともと若干の土塁や堀があったといわれ、小字に「堀の内」という地名も残っていることから、仙波氏の館跡と推定されています。
「保元物語」に仙波七郎高家、「吾妻鏡」に仙波平太、同太郎、次郎、弥三郎、左衛門尉などの名が見えられ、これらは在名をもって氏としたことが考えられます。
仙波庄を唱える村は、ここより南部の川越市内の高階地区と福岡、大井、富士見、三芳の各市町に拡がっているものが多く、仙波氏の支配した荘園と考えられます。
境内にはもともと若干の土塁や堀があったといわれ、小字に「堀の内」という地名も残っていることから、仙波氏の館跡と推定されています。
「保元物語」に仙波七郎高家、「吾妻鏡」に仙波平太、同太郎、次郎、弥三郎、左衛門尉などの名が見えられ、これらは在名をもって氏としたことが考えられます。
仙波庄を唱える村は、ここより南部の川越市内の高階地区と福岡、大井、富士見、三芳の各市町に拡がっているものが多く、仙波氏の支配した荘園と考えられます。
参考:川越の文化財(川越市教育委員会)
名称 | 仙波氏館跡 |
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指定 | 市指定 史跡 |
員数 | - |
所在地 | 埼玉県川越市仙波町3-31-23 長徳寺 |
所有者 | 長徳寺 |
指定日 | 昭33.3.6 |