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常楽寺

常楽寺

常楽寺山門
常楽寺表門

常楽寺は、平安時代末~南北朝時代(約200年間)に、武蔵国(関東)で大きな勢力を誇った河越氏の館跡の一角にあるお寺。

常楽寺の真裏には、国指定史跡の「河越館跡史跡公園」が広がっていて、河越館の遺構を見ることができます。この常楽寺は河越館の敷地内にあった持仏堂から発展したと言われています。古くは浄興密寺(じょうこうみつじ)と称し密教のお寺でした。それが700年前の鎌倉時代後期に常楽寺に改称され今に至っています。

持仏堂とは、その人が信仰し礼拝する仏像を祀っておく建物のことです。

鐘楼門

山門をくぐり、参道を進んでいくと龍の意匠があしらわれた鐘楼門が待ち構えています。
門内左右には仁王像が置かれ別名「仁王門」とも呼ばれています。ちなみに川越市内で仁王門が見られるのは喜多院と本能寺(菓子屋横丁近く)くらいになっています。
また、この門は川越城の城将「大道寺政繁」の子孫が寄進し、天明8年(1788/江戸時代中期)に再建されたものです。

なんと!大晦日にはこの鐘楼門2階にある鐘をつく事ができます!

常楽寺鐘楼門

鐘楼門意匠
消火用ポンプ

河越重頼、源義経・京娘の供養塔

境内には、河越重頼、源義経・京娘の供養等が建てられています。

  • 河越重頼: 平安時代末期にこの地で実力を持っていた武将で、河越氏の歴史で最も勢力が強い時代をつくった。
  • 京姫: 本名は郷御前(さとごぜん)。河越重頼の娘で、源義経に嫁ぎ正妻となった。
  • 源義経: 源頼朝の異母弟で、牛若丸として知られている。
河越重頼、源義経・京娘の供養塔京姫のぼり

 

河越氏略系図

河越氏の簡単な歴史

  • 平安時代(治承4年/1180)に、源頼朝が伊豆で挙兵した際、元々敵対していた河越重頼は、頼朝の御家人となり平氏討伐に参戦。
  • その後、河越重頼の娘(京姫)を、源頼朝の弟(源義経)に嫁がせる。
  • しかし源頼朝と義経の間が不仲になった際、義経縁者になったことが禍して、河越重頼は滅ぼされる。
  • 河越経重の時代に、勢力を回復。
  • 河越直重を中心に、平一揆を起こすも鎌倉幕府に敗れ、以降河越氏は表舞台から姿を消してしまいます。

スポット詳細

名称常楽寺(じょうらくじ)
住所
埼玉県川越市大字上戸194
WEB
時間境内自由
休みなし
料金無料
所要時間10~15分
駐車場あり(無料)
指定川越景観百選: 河越氏館跡常楽寺

 

常楽寺について

名称河越山 三芳野院 常楽寺(かわごえさん みよしのいん じょうらくじ)
宗派時宗
本尊阿弥陀如来
創建嘉元3年(1305/鎌倉時代後期)
開山・開基智徳上人
建物・仏像等本堂(入母屋造、銅板葺):阿弥陀如来像
表門
鐘楼門(山門):仁王像
河越重頼、源義経・京娘の供養塔
文化財なし
ご利益
年中行事大晦日:除夜の鐘つき
札所・霊場-
ご朱印

 

アクセス

車でアクセス

関越自動車道「川越IC」より 15分
圏央道「狭山日高IC」より 29分

電車でアクセス

徒歩
東武東上線「霞ヶ関駅」北口より 徒歩12分
バス
東武東上線「鶴ヶ島駅」北口、JR川越線「西川越駅」 川越シャトル(13系統)「上戸バス停」 徒歩4分

 

バリアフリー

表示の見方・説明

車椅子・ベビーカーの入場

  • 車椅子少し大変
  • ベビーカーOK

本殿へは階段があります。

車椅子は介助者がいることが前提の評価です。

バリアフリー情報

  • なし

路面状況

  • 敷石
  • 砂利

 

参考資料

現地案内板
平成小江戸川越 古寺巡礼
平成小江戸川越 古寺巡礼
1,470円
発行:信州信濃浄土出版社
発行日:平成17年12月3日

 
 

掲載の観光・地域スポット情報は2011年8月現在のものです。現在の内容と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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