縄文時代、なんと川越は海(東京湾)に面していました。
ここ小仙波貝塚は、古東京湾にのぞむ最も奥地の貝塚跡で、シジミやカキなどの貝が出土しています。特に淡水産の貝がほとんどでした。さらに貝層の下からは土器や石器を出土する竪穴住居も発掘されています。
また、川越をはじめ上福岡市、富士見市にも貝塚が確認されています。
縄文時代中期以降になると、徐々に海が退き始め現在の東京湾に近づいていったそうです。
現在この小仙波貝塚跡のほとんどは、住居や畑になっており、その一画の広場に小仙波貝塚跡の石碑と解説板が置かれているのみとなっています。
ここ小仙波貝塚は、古東京湾にのぞむ最も奥地の貝塚跡で、シジミやカキなどの貝が出土しています。特に淡水産の貝がほとんどでした。さらに貝層の下からは土器や石器を出土する竪穴住居も発掘されています。
また、川越をはじめ上福岡市、富士見市にも貝塚が確認されています。
縄文時代中期以降になると、徐々に海が退き始め現在の東京湾に近づいていったそうです。
現在この小仙波貝塚跡のほとんどは、住居や畑になっており、その一画の広場に小仙波貝塚跡の石碑と解説板が置かれているのみとなっています。
名称 | 小仙波貝塚 |
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指定 | 市指定 史跡 |
員数 | - |
所在地 | 埼玉県川越市小仙波町3-11 |
所有者 | 川越市 |
指定日 | 昭33.3.6 |