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川越市上戸にある日枝神社。
歴史も古く創建は平安時代。日枝神社の歴史には、平安時代末~南北朝時代(約200年間)に、関東で大きな勢力を誇った河越氏が深く関わっています。詳しくは下記、上戸日枝神社の略歴をご覧ください。
河越氏は代々、この上戸日枝神社を鎮守として崇め、銅鐘(国指定重要文化財/養寿院 所蔵)や太刀(川越歴史博物館 所蔵)を奉納しています。
*現在、養寿院が所蔵している銅鐘は非公開。
また、上戸日枝神社は桜の名所。
普段は静かな境内が、春には境内の桜がいっせいに淡いピンク色になり、訪れる人を楽しませてくれます。この境内の桜は川越市の川越景観百選にも選ばれています。
上戸日枝神社の風景
伝説「こむそう塚」
昔、日枝神社鳥居の前に小さな塚がありました。現在はありませんがこんな伝説が残っています。
むかし日枝神社の前を通りかかった虚無僧と修験者が喧嘩となり真剣勝負をすることに。結果、修験者が勝ち虚無僧は死んでしまいました。 それから、しばらくたった9月13日の十三夜のおまつりの際、虚無僧の身内が敵討ちにあらわれ修験者を後ろから切りつけました。
そんなことがあって以来、日枝神社では十三夜のおまつりは決して行わないようになったそうです。
参考: 「川越の伝説」池原昭治
上戸日枝神社の略歴
貞観年代(830 / 平安時代) | 休慶という修業僧によって、元日吉山王権現という名で創健 |
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永暦元年(1160 / 平安時代) | 後白河法皇が京都東山に新日吉山王社を祀ったのことにともない、河越氏が河越庄(所領)を新日吉山王社に寄進。これにより、新日吉山王社を祀る。 |
寛永年間(1143 / 鎌倉時代) | 北条時頼が社殿を再営。 |
文応元年(1260 / 鎌倉時代) | 河越平朝臣経重が銅鐘を寄進。銅鐘には「武蔵国河越庄 新日吉山王宮 大檀那平朝臣経重」の銘文。 この銅鐘は現在、養寿院にあり、国の重要文化財に指定(非公開)。 |
明治元年(1868) | 神仏分離令により、日枝神社と改称。 |
明治41年(1908) | 県令により、周辺の無各社を日枝神社に合祀(神明・八坂天王・愛宕・御嶽・浅間など) |
スポット詳細
名称 | 上戸日枝神社(うわど ひえじんじゃ) |
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住所 | 埼玉県川越市上戸316-1 |
WEB | |
時間 | 自由 |
休み | なし |
料金 | 無料 |
所要時間 | 5~15分 |
駐車場 | あり(無料・境内の脇) |
指定 | 川越市指定 有形文化財(工芸品): 懸仏 川越景観百選: 上戸日枝神社と桜 |
上戸日枝神社について
名称 | 上戸日枝神社 |
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創建 | 平安時代(貞観年間/830年) |
祭神 | 大山咋命(おおやまくい) 大己貴命(おおなむち) 小彦名命(すくなひこな) 大日孁貴命(おおひるめむち) 別称:天照大神(あまてらすおおかみ) 大御食都命 大屋毘古命(おおやびこ) |
摂末社 | 戸衛神社 八坂神社 疱瘡神社 八幡神社 大地主神社 御嶽神社 白山神社 浅間大神 愛宕神社 神明社 |
建物など | 本殿: 覆屋内 拝殿: 切妻造、瓦葺 灯籠: 1対 明神鳥居: 「日枝神社」 旗立台: 1対 手水舎 末社屋: 2屋 社務所 石碑: 「淺間神社」 石碑: 「愛宕神社」 石碑: 「明治三拾七八年 日露戦後紀年」 記念樹: 祝川越市文化財指定記念 日本紅葉 |
文化財 | 川越市指定 有形文化財(工芸品): 懸仏 |
ご利益 | 家内安全、殖産振興 |
年中行事 | 4月21日: 春祭(例祭) 10月15日: 秋祭 |
アクセス
関越自動車道「川越IC」より | 17分 |
圏央道「圏央鶴ヶ島IC」より | 17分 |
東武東上線「霞ヶ関駅」より | 9分 |
駅 | バスの種類 | 系統 | 下車するバス停 | 徒歩 | |
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1 | 東武東上線「霞ヶ関駅」 | 川越シャトル | 13系統 | 上戸バス停 | 6分 |
2 | バス停 | 分 | |||
3 | バス停 | 分 |
掲載の観光・地域スポット情報は2011年8月現在のものです。現在の内容と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
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でえだらぼう